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旧軽井沢の歴史

現在避暑地として有名な軽井沢も、古くは大和朝廷時代からの交通の要の地として栄えてきました。江戸時代には中仙道の宿場町として軽井沢宿、沓掛宿、追分宿と浅間三宿として栄えていました。そんな宿場町も明治、大正時代となり、交通網の発達と鉄道の開設に伴い、宿場町としての役割を終えてしまいました。宿場町軽井沢はイギリス人宣教師ショーによって避暑地別荘地として生まれ変わりました。外国人の別荘地、財界有名人の別荘地として多くの方に愛され現在に至っております。そんな軽井沢も時代の変化とともに大きく変貌を遂げ、今では昔をしのばせるものも少なくなってきています。この軽井沢歴史探訪のコーナーは、今でも歴史を物語っている建物や地籍を少しずつご紹介していきます。

歴史
本文作成に当たり、軽井沢町誌等を参考にしていますが記載事項に誤りのある場合は御容赦ください。

旧碓井峠・熊野神社

旧軽井沢の歴史
江戸時代以前の軽井沢の歴史を物語るところは、旧碓井峠にある熊の神社が一番分かりやすいかもしれません。昔は上州と信州の国境で、現在は群馬県と長野県の県境になっていてこの神社は二つの県にまたがって建っています。賽銭箱も2つ置いてあります。もともとは軽井沢の集落発祥の地であったみたいです。今でもこの神社の周りには、お茶屋が立ち並び、有名な峠の力餅を食べる事ができます。

軽井沢で最初の外国人別荘・ショーハウス

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イギリス人宣教師ショーが作った軽井沢の別荘第1号のショーハウスです。もともとは現在の場所ではなく何回か移築され現在の場所に落ち着いています。記念館として公開されており中を見ることもできます。場所はショー教会の裏手に建っています。元々のショーハウスはもう少し大きなもので約50年近く軽井沢教会の裏庭に立てられていたものを復元したものです。

軽井沢最初の教会

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明治28年に最初に軽井沢に造られた教会です。まだ教会が無かったころは、ショー氏の家が教会も兼ねていた事もあるみたいです。外国人の別荘が建つとそれに付随して教会も出来るということで現在で軽井沢には多くの教会があります。現在は木々に囲まれた軽井沢ですが当時は野原のような軽井沢でした。

ショー礼拝堂・教会

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軽井沢の避暑地としての開拓者ショーを記念して作られた教会です。現在軽井沢に建てられている教会の中では一番古い建物です。聖公会系の教会として現在でも活動しています。

聖パウロカトリック教会

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昭和10年外国人の別荘は300戸を越し滞在人数も1300名以上になっていました。新たにこの聖パウロ教会がこの年新たに造られました。設計はアントニン・レイモンドです。カソリックの教会として現在も活動しています。毎週週末になると結婚式が行われているのを見かけます。

軽井沢ユニオンチャーチ

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明治30年(1897年)軽井沢合同基督教会として、ユニオンチャーチが設立されました。国籍も教派も問わず誰もが集える教会として作られましたが当時は外国人のために作られたもので日本人の利用は有りませんでした。現在でも夏になると大勢の外国人の方が集っています。今でも設立当時の思想を守り続けている教会です。教会そのものは夏期以外は閉まっていますが、日本語学校は通年開校されています。有名な建築家ウイリアム・ボーリスの設計で改築されています。

軽井沢教会

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明治38年(1905年)日本基督教団軽井沢教会が設立され、現在の軽井沢教会の前進が出来ました。この教会はユニオンチャーチの創設者ダニエル・ノルマン氏が日本人のための教会として造ったものです。軽井沢の避暑地としての発展の中に教会は大きな働きをしてきました。現在では軽井沢には11の教会が有りますが旧軽井沢には4つの歴史ある教会が有ります。

軽井沢会テニスコート

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軽井沢にテニスコートが出来たのは明示25年(1892年)ごろと歴史の本には記載されています。当初は2面のテニスコートから始まり、序所に増面されて、現在のようになったみたいです。現天皇陛下もこのコートでテニスをされていました。歴史あるクレイコートは今でも丁寧にメンテナンスされています。クラブハウスも当時のものでこれもウイリアム・ヴォーリスの設計です。会員制になっていて一般の人はプレーすることが出来ません。現在コートは12面あります。

軽井沢集会堂

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軽井沢集会堂は、大正11年(1922)・日本人有志によって建設されました。この集会堂では、講演会、音楽会、映画会、展覧会などの催し物が行われました。昔の軽井沢の文化会館のような役割をはたしていました。現在でも軽井沢会テニスコートの横に建っています。

軽井沢の歴史を物語る別荘

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昭和の初期に建てられた別荘です。今では昔をしのばせる別荘も少なくなり、時代が変わり近代的な別荘が多い軽井沢ですが、今でも歴史を物語る建物も健在しており、一部では保存活動をしておられる団体もあります。

旧碓井峠ののアブと式線路の跡

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明治26年1893年4月1日に開通した碓井峠の鉄道の跡です。アブと四季鉄道として軽井沢と横川の間が開通しました。全工程の半分がトンネルで当時蒸気機関車だったので、煙が大変だったと聞いています。現在は遊歩道として一部歩くことが出来ます。

アブト式鉄道の旧碓氷峠橋梁

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通称めがね橋とも呼ばれる橋梁です。旧碓氷峠18号から見ることが出来ます。四季折々大勢のカメラマンが訪れます。軽井沢と東京の歴史の架け橋だったのかも知れません。

旧軽井沢駅者

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新幹線が開通し新しくなった駅舎の横に資料館として旧駅舎が保存されています。長い間軽井沢の繁栄を見続けてきた駅舎です。出来た当時2階のある駅舎はとても珍しかったみたいです。皇室などの待合質にも使われたみたいです。

草軽鉄道の電気駆動車

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大正4年7月22日に新軽井沢から小瀬まで開通した草軽軽便鉄道の電気気動車が旧駅舎の横に展示してあります。約10年近くかけて草津温泉むまで全線開通したみたいです。新軽井沢から草津温泉まで19の駅がありました。軽井沢の歴史を物語る鉄道でした。もし今でも健在だったらすごい人気の鉄道だったことでしょう

軽井沢駅・旧信越線のホーム

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今はもう使われていない、旧信越線のホームです。ホームには草も生えていて寂しい状態ですが、目をとじると、今にも列車が入ってきそうな気がします。

明治43年8月10日の大洪水

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明治43年8月10日軽井沢旧道を集中豪雨が襲い二手橋方向から濁流が旧道を流れている様子です。8月9日からなんと9日間雨が降り続けたそうです。

明治43年8月10日の大洪水

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水が引いて復旧作業が始まっている光景です。それでも夏休みとあって避暑地観光の人の姿が見受けられます。明治40年にも水害があったと記録されています。

明治43年8月10日の大洪水

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この洪水の後、外国人は別荘を高台の方へ移したとも言われています。このときに水害対策が施され以来現在まで大きな水害は発生していません。

昭和の浅間の噴火

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昭和時代浅間山は頻繁に噴火を繰り返していました。この画像はいつの噴火かは不明ですが、噴火直後の画像です。冬の画像です。

旧軽ロータリー現銀座通り入り口

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草軽電鉄の踏み切りがあります。旧道の入り口になります。写っている車はすべて外国製で庶民は画像のようにもっぱら自転車を使っていたようです。昭和30年代はまだ明治時代からの面影を残している旧道です。

軽井沢旧道の様子  その1

旧軽井沢の歴史
旧道を上手から下手を見た画像です。通りには木々が植えられていていますが現在はほとんど残っていません。

軽井沢旧道の様子  その2

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現観光会館あたりから通りの上手を見た画像です。当時から犬も軽井沢の定番になっていたようです。画像で見る限りはまだ道は舗装されていないように見えます。この時代になると、大正時代のような、外国人のための英語の看板も見当たりません。 

軽井沢旧道の様子  その3

旧軽井沢の歴史
軽井沢ファッションも欧米化したとは言え、画像の中には着物姿の人が見受けられます。この30年代が終わると軽井沢旧道は大きくその姿を変えていくことになります。このころまでが、明治・大正時代の軽井沢の面影を感じられる最後の時代になってしまいました。